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東京におけるエリアごとの食文化


世界有数の長寿国として知られる日本では他国とは一味違う食文化が存在します。見た目だけでなく、味付けや栄養バランスまで洗練された料理で一際は多くレストランが集まっている東京エリアを5つのエリアに分けて、イートプロジャパンが紹介します。


銀座

銀座(中央区)には多くの老舗デパートや高級ブティック店が集結していおり、最も高級感溢れる通りのうちの一つです。土・日曜日・祝日になると銀座は歩行者天国になり、買い物を楽しむ人々で賑わっています。


銀座の歴史

銀座は、16世紀に銀貨造幣局が誕生したことから名付けられたという説があります。もともと沼地でしたが、1872年に焼き払われ、その後明治政府は銀座を「近代化のモデル」の象徴となるよう、一から作り上げました。政府は銀座と新橋駅をつなぐ耐火れんが造りの建物と大通りの建設計画、および築地魚市場(現在は閉鎖)を考案しました。 1年後、西洋風のショッピングプロムナードとレンガ造りの建物が完成し、メディアは銀座を「文明と啓蒙」の象徴として称え、多くのメディア媒体で銀座が取り上げられました。そして銀座は大都市に位置するショッピングエリアに成長しました。


銀座の食文化

高級レストランや施設が充実している上に、銀座の料理は常に新鮮かつ上質で美味しいです。銀座は、伝統的な寿司屋や喫茶店で特に有名ですが、ラーメンから鉄板焼き、各国料理まで、幅広い種類の料理が多いのも魅力の一つです。


最上級の寿司を体験したいのなら、日本で最も有名な寿司レストラン、すきやばし二郎がもってこいです。ミシュラン3つ星を獲得しているすきやばし次郎ではシェフの次郎と彼のチームが細部にまでこだわった料理を提供してます。


銀座三越にある地下2・3階にあるギンザフードガーデンには地元や旬の食材を紹介する様々な屋台が並んでいます。弁当屋、酒屋、そして和菓子まで幅広いジャンルの料理を楽しむことができます。デパートで買い物を終えた後、デパートの屋上庭園でのんびりしながら、食事を楽しむこともできます。


さらに銀座にあるArmani Ristorante(アルマーニリストランテ)では買い物で歩き疲れたお客様のためにぴったりなアフターヌーンティーを提供しています。また開放的な空間が特徴なBvlgari La Terrazza Lounge (ブルガリ ラ・テラッツァ・ラウンジ) ではコーヒーと共に提供される3段にもお菓子が詰まっているブルガリアフターヌーンティーボックスがおすすめです。資生堂パーラーでは長年代々シェフが受け継いできたミートクロケットが伝統的なメニューですが、オムライスからイチゴをふんだんに使ったパフェまで、様々な料理を提供しています。


新宿

東京で最も活気に満ちた賑やかな地区として知られる新宿は、東京でも大規模な商業施設や行政の中心地としても知られています。新宿には世界で最も忙しい駅である新宿駅と東京都庁もあります。第二次世界大戦後、新宿は文化的・社会的地位を高め、かつて東京の中心地であった丸の内に値します。観光客も地元の人もブティック店やブランド店を利用しながら、賑わう新宿の街を謳歌しています。


新宿の歴史

新宿の歴史は1698年まで遡り、当時の主要幹線道路のひとつである甲州街道に新駅が建設されたことから始まりました。本格的には関東大震災後の1923年に発展し始めました。幸いなことに新宿エリアの地盤は比較的安定しているため、震災被害はほとんどありませんでした。しかしながら 1945年に起こった東京大空襲で東京の大部分が東京の空襲で破壊されましたが、新宿の主要道路と鉄道は残っており、なんとか再建築することができました。現在では新宿は高層ビルが多数そびえ立つ近代的なエリアである一方、西新宿は自然が多く、東京の中で比較的高層ビルが数少ないエリアの1つです。


新宿における食文化

新宿にある料理の一番いいところは、多様性と品揃えの豊富さにあります。新宿には、2019年の時点でミシュランの星を獲得した36のレストランがあり、何千もの飲食店があります。有名で最高級なレストランからこじんまりとした隠れ家レストランまで、新宿には取り揃えています。


古典的な日本料理を楽しみたい方には、一蘭ラーメンがぴったりです。一蘭ラーメンは日本で最も有名なとんこつラーメン店のひとつで、福岡市直送のクリーミー豚骨スープを使用しています。また仕切りを設け、店員を一切顔を合わせない個性的なカウンター席やオーダー用紙を使った注文システムでも知られています。


新宿駅東口から徒歩数分のところに、もう一つの有名な場所、ゴールデン街があります。ゴールデン街には6つの路地が集まり、1人が歩くのにやっとの狭い路地にあります。これらの通りや路地は私道であるため、大抵写真撮影は禁止されています。ゴールデン街は、深夜になると賑やかなバーやそこに集まる人々で大変盛んですが、その狭い路地に位置する街並みはネオンが煌めく近代的な場所としても有名です。また新宿駅近くに位置する思い出横丁ではレストランやバーの他にも常連客で賑わうような地元の雰囲気を存分に堪能できる場所でもあります。



浅草

浅草は東京の東側に位置する地域です。観音を祀る浅草寺や三社祭など様々な祭りで有名な浅草は、伝統的な雰囲気で知られています。


浅草の歴史

浅草は旧浅草区であった蔵前と隣接しています。蔵前は封建政権への支払いに使われる米の貯蔵時間を収容した地区でした。収容倉庫の管理人が地元の店主にも米を売ることによってますます金持ちになりました。こうして劇場や芸者の家が生まれた結果、浅草は芸術の中心地となりました。 20世紀を通じて、東京の主要な娯楽地区であり続け、浅草の文化の中心である六区(第6地区)は、劇場地区や電気館また映画館で特に有名になりました。 1947年、浅草は再編成により、下谷区と合併して19の異なる地区を含む台東区となりました!


浅草の食文化

浅草には創設された当初から何世代にも受け継がれてきた料理やレストランが数多くあり、日本の伝統的な料理を味わうことができます。


常連客が立ち寄る場所のひとつ、浅草むぎとろを紹介します。1929年に創業したこのレストランは、その名を冠した料理「むぎとろ」で有名です。むぎとろは、だしと魚の煮汁をご飯の上に注いだとろろ(長芋)のお粥です。使用されているとろろは、粘り気のある甘い味で知られています。むぎとろには前菜、刺身、揚げ物が添えられています。浅草むぎとろは、創業90年以上の伝統的な味とともに創意工夫を凝らした四季折々の懐石料理を提供します。


浅草むぎとろの他にも浅草にはまだまだ伝統的な食べ物があります。その一つとして人形焼があります。人形焼とはカステラなどの中に甘い餡がつまったお菓子のことで、その見た目が人形のような形であったため、人形焼と名付けられました。明治23年創業以来、原料を吟味精選し、独特の製法で人形焼を製造販売してきた紀文堂総本店は地元の人々や観光客からも愛されてきました。紀文堂総本店では焼き立ての人形焼はもちろん、ハローキティや浅草寺をモチーフにした人形焼も楽しむことができます。


東京駅と皇居

皇居は東京都千代田区に位置する公園のような広大なエリアです。皇居には、博物館、資料館、管理事務所だけでなく、天皇とその家族の住まいの場所でもあります。 1980年代のバブル大盛期、皇居の土地全体は、カリフォルニア州の地価総額を上回るとされていました。皇居周辺は美しい景色だけでなく、天皇のお住まいの地として尊敬されています。



皇居から徒歩9分に位置する東京駅は、東京都千代田区を拠点とする鉄道駅です。東京駅は、新幹線をはじめ、東京エリアの主要な都市間における鉄道ターミナルであり、日本で最も混雑する駅の一つでもあります。毎日4,000本以上の新幹線や鉄道がこの駅を発着しています。



東京駅と皇居の現在の歴史

現在の皇居は、かつて江戸城があった土地に建てられ、旧城の一部も組み込まれています。皇居の一部と皇居東御苑は通常一般公開されていますが、敷地の大部分は公開されていません。ただし、ガイド付きツアーにおいては地元の人も観光客も普段は立ち入ることができないエリアを訪れることができます。ガイド付きツアーは火曜日から土曜日までの予約制となっており、皇居の庭園の美しさを満喫することができます。そして、最も特別な正月(1月2日)と天皇誕生日(2月23日)には天皇一族が陛下邸バルコニーに姿を現し、祝福の挨拶とスピーチをします。この祝賀の際は一般の人々が皇居の中に入り、天皇のその姿を見ることができます。


東京駅は、東京都委員会が2つの古い路線を結ぶ高架鉄道の計画を立てた1889年後に大きな発展を遂げました。鉄道建設は1908年に完了し、1914年12月20日には開通しました。それ以来、この場所は爆撃や火災によって被害を受けましたが、復興を重ねて以前よりもずっと衝撃に強い設計になりました。現在、駅地下には皇居方面に続く丸の内中央広場や様々なショッピングエリアなどが立ち並んでいます。



東京駅と皇居の食文化

皇居を含め東京駅周辺は地元の人の他に観光客も訪れる人が多く、さまざまな料理の需要に合わせて進化してきました。国際的なものから伝統的なものまで、このエリアには万人にあった料理を兼ね備えています。


駅近で世界の料理を味わいたい方には、豪華で高級感溢れるフランス料理で知られるブラッセリーポールボキューズがおすすめです。八重洲北口改札を出てすぐ、東京駅直結の大丸百貨店内12階にあるこのレストランは、フランス人シェフのポール・ボキューズが主に料理を提供しています。ボキューズの料理スタイルは、良い素材、良い火加減、良い味付けを基本としており、手ごろな価格設定にも関わらず、本場に引けをとらないフランス料理を堪能することができます。


また東京駅真横にそびえ立つ商業施設KITTEにはレストランの他に無料の美術館や巨匠が手掛けた内装も楽しむことができます。KITTEは日本郵便株式会社が手掛けていることから、“切手”を貼ると郵便として大切な人に 想いが届くのと同じように、商品やサービスに「KITTE」という付加価値を加えることで、そ れらに込められた想いまでもきちんと届けることができる施設でありたいという気持ちを込めて名付けられました。地下1階から地上6階の7つのフロアには無料の美術館や全国からのご当地グルメや郷土料理を取り扱う専門店もあります。中でも地下1階にあるアマノフリーズドライステーションではドライ食品の美味しさや便利さを紹介するアンテナショップ1号店としてオープンし、味噌汁からカレーまで兼ね備えています。


もしドライカレーに飽きてしまったら、ボンディ神保町本店の伝統的なカレーをぜひ行かれてはいかがでしょうか。神保町は日本屈指のカレー激戦区としてカレー店が数多く存在します。そんな中、欧風カレーの老舗として愛され続けられているボンディ神保町本店はお昼時になるとほぼいつも満席で、大変賑わっています。欧風カレーの先駆者としてソースや食材の仕込みにこだわっているため、お値段は多少張りますが(カレーのボウルは通常約1,480円で提供)、これまで多くの常連客が舌鼓を打ち、支持され続けてきました。



六本木

六本木は、仕事で疲れたサラリーマンがリラックスできるような高級感の溢れる、洗練されたモダンな都市です。東京の中心にある港区には、アーケード、庭園、映画館、54階建ての森タワー、大使館、そして六本木の象徴ともいえる有名な六本木ヒルズがあります。夜にはクラブやバーが開き、ビジネスマンのみならず、外国人も楽しめる活気のあるエリアです。



六本木の歴史

六本木という名前の由来については、諸説あります。 「六本木」とはそのまま「六本の木」を意味し、この地域を象徴する6本の大きなケヤキの木が由来と言われています。専門家によると、六本木が本格的に開発され始めたのは1890年に日本帝国陸軍の第3帝国警備隊がこの地域に移住したときであるという説もあります。兵士の数が多かったため、夜に出歩ける場であるクラブやバーが繁栄しました。第二次世界大戦後、連合軍がこの地域を占領したことをきっかけに、外国人が流入し始めました。外国人だけでなく、日本人も六本木の夜の再び、繁栄している現代の地区は、新しい居住者の需要に合うように成長しました。今日、外国人も日本人も、六本木にあるナイトスポットを楽しんでいます。



六本木の食文化

六本木にあるバー、ナイトクラブ、ホストクラブなどは幅広い世代や国籍のお客さまにサービスを提供していますが、特にビジネスマン、米軍関係者、若者が頻繁に訪れます。六本木には、国内外のパフォーマーとフィーチャーしたクラブが数多くあり、アートフェスティバル、ビリヤードトーナメントなど多様なイベントも数多くあります。一方、六本木のレストランでは老若男女のお客さまに日本懐石料理から各国の料理まで取り揃えています。


日本と海外の文化を両方味わいたいのなら、六本木にある蕎麦屋本むら庵がおすすめです。シェフ兼オーナーの小張幸一は、マンハッタンでレストランを創業しました。その後、亡き父親を引き継ぐために東京に移りました。このバイリンガルのシェフは、地元の人からはもちろん海外の方からも支持を集めています。また英語と日本語のメニューとモダンな造りで落ち着いた空間では数多くの外国人観光客からも注目を集めています。


以上をご覧頂いた通り、東京には非常に種類の多いレストランや商業施設が集まっています。もし東京へ旅行を計画する際は、その魅力を十分に満喫できるように日程を確保しておくのもポイントです。









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